不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句をやめられない時 その3
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行動パターンを知る
出口は怒りでも、元にあるのは自分の言葉が届かない無力感であり理解されない悲しさがありました。
怒りは二次感情と言われ、その下に本当の気持ちが隠れているのです。

この根っこを作り出した体験を人は思い出したくありません。無かったことにして日常を過ごしているからです。
だから刺激され悲しさを味わいそうになると、味わうことも、自分の中にこの感情が有ることにも気づきたくないし、見たくないのです。そこで怒りで防御してしまいます。
そして、幼い頃に悲しさを味わった時には、必ず一つのことを体験しているはずです。
それは「我慢」です。
幼い時は、どんなに悲しく寂しくとも理路整然と訴えることは出来ません。言ったところで「お姉ちゃんだから我慢して」「今忙しいから我慢して」と言わることがほとんどです(私は末っ子ですが)。また親の庇護がないと子どもは生きていけません。
だから受け入れ、我慢するしかなかったのです。
怒り>話を聞いてもらえない、共感してもらえない>思いはあるのに言葉が届かない悲しさ→悲しさをしまいこみ我慢する
怒り>信じてもらえない>信じて欲しいのに信じてもらえない悲しさ→悲しさをしまいこみ我慢する
怒り>干渉される>自分で出来るのに信じてもらえない悲しさ→出来るって言いたいのに我慢する
でも、もう我慢は嫌なんです。限界なんです。

一次感情を見たくないのと同様、我慢させられるという危機が迫ると怒りが噴出します。
そしてこの我慢を回避するには
「コミュニケーション」
が必要です。
それなのに、私は「どうせ私の意見は採用されない、伝わらない」と幼い頃から思い続けてきたのです。
何十年と染みついた思い込みです。
いよいよ自分を癒す段階へ
我慢を回避するには、我慢したくないことを相手に伝えなければなりません。それには自己開示する必要があります。
『過去のトラウマから「どうせ私の意見は通らない」という思い込みが私にはあり、話し合いを端から諦めてしまう癖があった。でもこれからは嫌なことは理由をしっかり伝え、理解を求めていくね。でも慣れてないし怖さが出るから、上手く話せないけど最後まで聞いてね」と相手に伝えればいいのです。
そして自分にも「時々は失敗するかもしれないけど、なるべくちゃんと伝えて我慢しなくていいようにしていくね」
と自分を安心させる(自分とのパートナーシップを築く)のです。
我慢しなくて済むように、つまづきながらも一つ一つ話し合い、心地よさを自分で作っていくのです。

これは時間がかかりますが、やれば必ず安定していきます。
まずは一つ成功体験を積むこと。そしたらそれを押し広げていけばいいのですから。
我慢させられると思うから体が強張り、怒りを相手にぶつけて防御体勢に入るのです。
我慢する機会が減ると今度も大丈夫かも!と少し緩んでいけます。
焦らず、じっくり取り組んでください。
最後に
箇条書きにした【私の場合の怒り】の文章を読んで気がつきますか?
全部受け身形なのです。
全て被害者意識でいたのです。

全て相手が悪い、私は悪くない。という存在の仕方をしていました。
視点を私だけでなく、相手にも置いてみる。
ある程度、自分を癒すことが進んでいくと、無理なくこれが出来るようになります。
ここまで来ればしめたもの。
相手の立場に立てた時、見える景色が変わります。
私の場合、怒りや我慢の矛先は父だったのですが「父も病気でしんどかったし、兄弟にも色々と干渉され大変だったんだな。いっぱいいっぱいだったんだな」
と例え許せなくても、理解できるようになります。
そうして、さらに自分が癒えていくと
全部愛だった!と自然に見方が変わっていきます。
父は父の愛し方で愛してくれていたと見えてきます。
例えそれが私の望む愛の形ではないにしても。

父の愛を認めると何かが変わっていきました。
私こそいつも被害者でいて「相手の話を聞かずにいたのは、むしろ私の方かもしれない」とすら思えてくるのです。
これはステップとして、このような変化があるよ! と書いているだけなので、まだ癒している途中の方は、無理して許そうとしなくてもいいですからね。
だって無理して許そうとしたら、また我慢させられる!って思うでしょ?
そういうことなんです。
自分の中に溜まりに溜まった我慢を吐き出し癒すことを真っ先にやってください。
それが進むと自然と視点が自分から相手にスイッチし「そうだったのか!」と衝撃が走る瞬間があると思います。
その先に許しや感謝が起こります。
ゆっくり自分を癒していきましょう。
癒しが進み、被害者意識を抜けた先に
不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句の代わりに「ありがとう」を言う自分が生まれる筈です。
この記事は、この先に何が起こり、どこを目指すのか、それを示した地図のようなつもりで書いています。
そして、当然私もこの道を歩んでいいます。
癒せた部分もあれば、まだまだな分野もあります。
焦らず一歩一歩進んで行きましょう!